手に宿るもの

たまに通る商店街に小さなサンドイッチ専門店がある。ご家族で経営されているとおぼしき小さなお店だ。いつもお母さんが元気に声を出して、道行く人たちにサンドイッチを宣伝している。

今朝、そのお店の前を通りがかったときのこと。
お母さんがいつもどおりの大きな声で、しかし今朝は「手づくりですよ~!」という初めて聞くワードを連呼していた。なんとなく違和感を覚え、考えさせられた。

手づくりですよ。

工場での機械生産、大量生産ではないということだろうか。あるいはひとつひとつ手間ひまを惜しまずに作っている。食べる人の笑顔を想像しながら愛情を込めて作っている。といったことを伝えたいのかもしれない。

無添加ですよや化学物質不使用ですよなら違和感は覚えなかったと思う。

このお店が手づくりをうたう理由は知らない。
いずれにしても、手づくりという言葉には、作り手の思いやりや愛情のような目に見えない要素が幾分に含まれている。強みとして大きな声でアピールすることで、手づくりの持つ奥ゆかしさが消えてしまっていたのではないか?

それも僕が感じた違和感のひとつで、広告するときの難しさでもある。

では、手打ち蕎麦、手延べそうめん、手巻き寿司はどうだろう。それぞれの手がもたらす意味合いは違っていると思う。

こと食については、手という言葉はいろいろな解釈を含んでいると考えさせられた。

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