柴犬とiPhone12

柴犬に似合う服がなかなか見当たらない。唐草模様の襟巻き、でかでかと祭と書かれた法被などは柴犬の定番柄のように認識されているかもしれないが、それでは個性が出せない。柴犬自身もそのテイストにはお腹いっぱいではないか。結果、うちの豆柴は雨の日も雪の日も常々裸である。

iPhone12miniを予約開始と同時にAppleStoreに注文して、発売日に家に届けてもらった。箱から取り出して、小一時間ほど眺めたり、いろんな握り方を試しながら指紋をつけては消したり、ついた手汗に息を吹きかけて蒸発させたりしてみた。懐かしの名機iPhone4を彷彿とさせるエッジの効いたミニマルデザインと高性能コンパクトが魅力のモデルである。

最近のiPhoneは大型化の一途を辿っていた。そのため、iPhone8から買い換えることができずにいたところ、この12miniは僕にとっては待望のリリースであったわけだ。

iPhoneの進化はいつのころからか、カメラレンズを増やし、コンテンツを快適に消化させるため液晶の面積を拡げ、楽しむことをやめさせないようにバッテリーを大きくしてきた。筐体の大型化は大義名分を得たかのように世に溢れたわけだが、人の手のサイズはその進化に適応できない。触れていられる1日の時間が増えるわけでもない。本来のiPhoneに求められる機能からいえば、大型化のトレンドには限界が近づいていたのかもしれない。

機能美という言葉がデザイン界隈で声高に言われていた時期がある。正しく機能することを全うするために「最適化された美しさ」という意味で、例えば鍛え抜かれたアスリートの肉体などがこの言葉に相応しいとでもいえようか。

柴犬もiPhoneも、本来求められる機能に対して、成るべくして成る進化の姿がある。柴犬には似合う服がないほど完成された美しさと佇まいがあり、iPhoneには人が手で使う道具としての正しい在り方がある。そんなことを考えた。

iPhone12miniは、果たすべき機能とサイズ感を含むデザインの美が正しく備わっているように見える。こうしたものづくりができるAppleにはさらに人に寄り添った次の名機を期待してしまうのだ。

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