「子どもが心配」を読んだら、大人が心配になった

移動中の新幹線で養老孟司さんの著書「子どもが心配」を読みました。

本の中で、「教育」の究極の目的は、子どもの「幸福」という考え方が出てきます。

「幸福」を英訳すると「happiness」と「well-being」のふたつが出てくるんですけど、このふたつの違いについて書かれていた部分がずっと印象に残って消えません。

Happinessは、語源をhappenとすることから、一時的、偶発的に現れる幸福というニュアンスがあるようです。昨日はあったけど、今日はないかもしれないといった「好機」とでもいうか、そういう類の幸せ。

いまの学校教育(もしかすると昔も)は、子どもたちが将来歩んでいく道のりにおいて発生する「happiness」をひとつでも多く手に入れるためのものなんじゃないか。そんな感じを覚えました。

いっぽうのwell-beingは、より良い状態にあること。というニュアンスで、基本的にずっとある「心地よさ」みたいなものを指すようです。

生まれてきたこと自体がもうすでに幸福で、人生という道のりを歩いているだけで「well-being」なのだと教えること。それに気づかせてあげること。明らか、こっちのほうがこれからの教育に必要な観点なんじゃないかなと感じました。

どのメディアでもちょうどウクライナのことがやっていて、綺麗事だけでは無理やんなあとは思うんですけども、人間を育てるなんて時間のかかることをするときに、少し長い目というか、ブレないものとしては「well-being」のほうがいいなあと思うんです。

「バカの壁」「バカのものさし」など、養老孟司さんは発想の視点がおもしろくて読んでいます。