ワールドカップカタール大会では「三苫の1ミリ」など、サッカーに起こりがちな際どいプレーが科学的根拠に基づいた最先端VARによって裁かれました。
サッカーはルールが大雑把というところからエンタメとしての醍醐味がうまれ、時に審判を欺くようなプレーすらクリエイティブと称されるわけです。
プレーしている選手にとっては、今大会のように、あまりにも科学的根拠に依存した判定になると、ある意味でそれはもうサッカーではなくなるという考え方もあると思います。
観る側の立場でも、判定の真偽を含め、どっちかよくわからないことを飲み屋とかでぐだぐだやってるのが健全なファンの姿だったと思います。正解がないからああだこうだと言えたわけです。
それを文句のつけようがないという前提の科学的根拠に基づく判定に委ねると、ぐぅの根も出なくなって、そもそもVARはどうなんだ?という話の展開になったりするんですが、なんか偉い人たちが決めたことだからしょうがないとすぐに結論に至り、飲み屋も儲からなくなります。
ですが、ファンが議論すべき内容が「判定の真偽」から「選手のプレーそのもの」にフォーカスされるようになることは、それはそれで歓迎されるべきかもしれません。
ビジネスとしてファンを増やしていくためには、こうしたある種の公平性、透明性を担保した運営が必要な時代とも考えられ、昨今、人々が社会や政治に求める風潮とも重なって感じられました。
プレーする側と観る側。立場によって高性能VARの是非は異なるものと思います。いずれにせよ、サッカーがサッカーであり続けるためのヒントが、カタール大会では垣間みえた気がします。
ちなみに、僕自身はどの試合も朝起きてからツイッターで結果を知るという超にわかなポジションであることを明記しておきたいと思います。
