甑島と書いて「こしきしま」と読みます。鹿児島県薩摩川内市に属する離島。父が中学を出る頃まで家族で住んでいたらしい。自分のルーツと言えば大袈裟だなと自分でも思うのだけど、まあ一回くらいは見ておきたいと思い、両親を連れて勢いで出かけてみました。
新幹線で鹿児島へ。そこから島へは高速船で50分ほどかかります。本土を離れて東シナ海に向けて海上を突き進む経験がなく、飛行機で国外に行くよりも遠くへ来ているという感覚になります。船旅に慣れていないこともあり、四方を水平線に囲まれ若干不安にもなりました。

岩と岩の隙間を縫って無事入港した後、島の中はレンタカーで移動しました。

甑島というのは、上甑(かみこしき)、中甑(なかこしき)、下甑(しもこしき)と三つの島から成っています。島をつなぐ立派な橋が最近できたことで移動がずいぶん楽になったといいます。

島内を奥に進むにつれ、信号が少ないということに気づきました。ほとんどない。交通事故死亡ゼロ10,000日達成という記事を見かけましたが、走っている車も歩いている人もそもそもが非常に少ない。それはそうなるだろうと納得しました。
普通は目につくものなんでも新鮮というのがよくある旅の感覚なんですけど、どこか知っているようで、でもやっぱり始めてくる場所で。新しくも古くもない。こうした場所で何かを見つけるのは難しい。何かあるようで何もない。ただ絶景だけが贅沢に広がっています。
週に一回だけ本土からやってくる移動販売車。そこでひとつだけ買うお菓子を選ぶのが楽しみだったという60年以上も前の父の昔話。そんな時代。都会に豊かさを求めて家族で島を出た気持ちもわかります。
父が幼少期に住んでいた家のあたりに行ってみました。そこにはもう家はないけど、このあたりと指差すところが確かな記憶だとすると、玄関を開けたら数メートルで海です。

当時、父の父はここで漁師をして家族を養っていたらしい。台風のときなどは船が流されないように、あるいは流されても困らないように船で寝ていたといいます。いや、船より先に家が流されそうなものだと、その当時を想像しながら目の前の海をのぞきこんでみました。

プールかと思うほどの透明度の海。不純物のない美しすぎる海には魚が住めないというけど、確かに動く生き物は何もいません。綺麗なので海水浴やダイビングにはいいのかもしれません。季節がよければ泳ぎたかったです。
美しい砂浜と海水、そこから望む山と岸壁の景観は、リゾートには魅力を発揮すると思います。ただ、観光という視点で言えば、半日過ごしてもやっぱり何も見つけられない。
少し前に大きめの恐竜の化石が出たらしく、立派なミュージアムができたそうで、新しいものはまあそれくらいらしいです(化石そのものは古いけど)。あとは海上に顔を出している岩の合間を遊覧クルーズでアドベンチャーするくらい。これも若い人向きか。僕らにとっては、温泉でも湧いてくれば少しは滞在の目的になるのかもしれないけどそれも今のところは期待できないようです。
そこに住んできた人々の風土や文化というのはもちろんあります。下甑に見られる武家屋敷エリアなどは当時の島の暮らしを偲ばせます。父が通った小学校も今は綺麗で立派になったものだといいます。のびのびと学校生活を送る子たちは都会の子とはまた違う学びをするのだろうと思います。自然の中で暮らすことを僕らは羨ましく思ったりしますけど、一方でそれがネイティブの人からすると、それはそれで大変なこともあるのだろうというのは想像できます。

食べものは海の幸が中心。これはさすが贅沢なもので、母と僕なんかは普段あまり口にできないものなので食も進むわけですけど、父は小さい頃にはそればっかり食べていた記憶から今でも目にしただけでお腹いっぱいになるらしいです。

島には一泊二日でしたけど、当時の父とその家族の暮らしぶりがわかる場所を本人の話を聞きながらのんびりと回りました。ガイドブックに載っているちょっと珍しい以上観光地未満の場所も一通り巡ることができました。車があれば小さな島なのだ。
帰りの高速船が出るとき、若い人が年配の人たちに見送られている様子を見かけました。大人になって島を出るのか、里帰りを終え都会に戻るところなのか、だと思います。
誰でも生まれ育った場所の景色は特別で、共に暮らした人たちとの記憶は大切なもので。改めてそんなことを思いました。
また住みたいとは思えないけど、もう一度来ることができてよかったという父の言葉にも表れていたと思います。
都市部には横に家を建てるのも困難なくらい人が集まり、物が溢れて一見活気づいて見えます。田舎には都会にはないものがあるというけど、あるものもあれば、やはりないものはないと考えさせられる部分もある。誰も彼もが都会の暮らしを望むわけではなく、僕には見つけられなかったものを見つけて島での暮らしを選ぶ人もいると思います。
地方創生は政治で実現できることではないという人がいる。人の価値観が大方を決めるからなんだと思う。
そんな甑島の旅での学び。